足は、わたしの物語を知っている 〜身体との対話から見えてくるもの〜
- はやしひろこ
- 3月28日
- 読了時間: 3分
足と心が語りはじめるとき
私が日々のセラピーで大切にしているのは、「対話」です。
といっても、ことばをたくさん交わすという意味だけではありません。
たとえば、自分の足に静かに手をあててみる。
指先の冷たさや、足裏のこわばりにそっと意識を向けてみる。
そんな小さな行為から、ふっと心の声が立ち上がってくることがあります。
リスタートにあたって、新しいメニューに加わった「足との対話 foot&toe message」も半年の間に多くの方にセッションを体験していただきました。
「この違和感、ずっと見ないふりをしていたな」
「ここまでがんばってきたんだな、わたし」
それは、まぎれもなく「自分との対話」の始まりです。
対話とは、「ことばが流れる道」
「対話(dialogue)」ということばの語源は、古代ギリシアにあります。
dia-(通して)と logos(ことば)を組み合わせたもので、
もともとは「ことばが流れる道」「意味がやりとりされる通路」のようなイメージをもっていたようです。
哲学者ソクラテスは、弟子と対話を重ねることで、ものごとの本質や、自分自身のあり方に気づこうとしました。
正解を押しつけるのではなく、問いと応答を繰り返す中で、
人が自ら考え、感じ、理解を深めていくための営み。それが対話でした。
心のなかにも、対話の場がある
心理療法の世界でも、「対話」はとても大切にされています。
相手との対話だけでなく、自分の中にあるいくつもの「声」や「感情」と向き合うこと。
これを、心理学では「内的対話」とも呼びます。
たとえば、
「平気なふりをしていたけど、本当は泣きたかった」
「もう前に進まなきゃ、でもちょっと怖い」
そんな風に、自分の中の矛盾や葛藤をそのまま受けとめてあげる時間。
これは、いわゆる“頭で考える”のとは違って、身体の感覚を通して見えてくることが多いのです。
だから私は、足裏の反射区や指先に触れながら、その人の内側にある「まだ言葉になっていない声」を大切にしています。
オープンダイアローグに学ぶ、「評価しないまなざし」
最近注目されている「オープンダイアローグ」という精神医療の手法でも、
「評価せずにただ聴く」「一緒に考える」という姿勢が重視されています。
専門家が“正しい答え”を与えるのではなく、本人と周囲の人々が対等な立場で対話することで、回復がはじまっていくのです。
私のセラピーも、それにとても近いものがあると思っています。
身体の声を聴くこと。
無理に意味づけせず、答えを急がず、ただ今ここにいること。
そうした時間が、私たちの内なる世界を少しずつほどいていくのだと感じています。
足は、あなたの物語を知っている
足は、あなたがこれまで歩いてきた道を支えてきた場所。
そして、自分自身と静かに向き合うとき、その足が多くのことを教えてくれます。
セラピーを受けた方からは、
「なぜかわからないけれど涙が出た」
「自分の本音に初めて気づけた」
そんな感想をいただくことも少なくありません。
足との対話を通して、自分自身とやさしく出会い直す。
そんな時間を、これからも丁寧に届けていきたいと思っています。対話とは、目に見えないけれど確かに感じられるもの。
機会があれば、実際のセラピーで見られた「足からの気づき」のエピソードを少しご紹介しますね。

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