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足は、わたしの物語を知っている 〜身体との対話から見えてくるもの〜


足と心が語りはじめるとき


私が日々のセラピーで大切にしているのは、「対話」です。


といっても、ことばをたくさん交わすという意味だけではありません。

たとえば、自分の足に静かに手をあててみる。

指先の冷たさや、足裏のこわばりにそっと意識を向けてみる。

そんな小さな行為から、ふっと心の声が立ち上がってくることがあります。


リスタートにあたって、新しいメニューに加わった「足との対話 foot&toe message」も半年の間に多くの方にセッションを体験していただきました。


「この違和感、ずっと見ないふりをしていたな」

「ここまでがんばってきたんだな、わたし」


それは、まぎれもなく「自分との対話」の始まりです。



対話とは、「ことばが流れる道」


「対話(dialogue)」ということばの語源は、古代ギリシアにあります。

dia-(通して)と logos(ことば)を組み合わせたもので、

もともとは「ことばが流れる道」「意味がやりとりされる通路」のようなイメージをもっていたようです。


哲学者ソクラテスは、弟子と対話を重ねることで、ものごとの本質や、自分自身のあり方に気づこうとしました。

正解を押しつけるのではなく、問いと応答を繰り返す中で、

人が自ら考え、感じ、理解を深めていくための営み。それが対話でした。




心のなかにも、対話の場がある


心理療法の世界でも、「対話」はとても大切にされています。

相手との対話だけでなく、自分の中にあるいくつもの「声」や「感情」と向き合うこと。

これを、心理学では「内的対話」とも呼びます。


たとえば、

「平気なふりをしていたけど、本当は泣きたかった」

「もう前に進まなきゃ、でもちょっと怖い」

そんな風に、自分の中の矛盾や葛藤をそのまま受けとめてあげる時間。


これは、いわゆる“頭で考える”のとは違って、身体の感覚を通して見えてくることが多いのです。

だから私は、足裏の反射区や指先に触れながら、その人の内側にある「まだ言葉になっていない声」を大切にしています。



オープンダイアローグに学ぶ、「評価しないまなざし」


最近注目されている「オープンダイアローグ」という精神医療の手法でも、

「評価せずにただ聴く」「一緒に考える」という姿勢が重視されています。

専門家が“正しい答え”を与えるのではなく、本人と周囲の人々が対等な立場で対話することで、回復がはじまっていくのです。


私のセラピーも、それにとても近いものがあると思っています。

身体の声を聴くこと。

無理に意味づけせず、答えを急がず、ただ今ここにいること。

そうした時間が、私たちの内なる世界を少しずつほどいていくのだと感じています。




足は、あなたの物語を知っている


足は、あなたがこれまで歩いてきた道を支えてきた場所。

そして、自分自身と静かに向き合うとき、その足が多くのことを教えてくれます。


セラピーを受けた方からは、

「なぜかわからないけれど涙が出た」

「自分の本音に初めて気づけた」

そんな感想をいただくことも少なくありません。


足との対話を通して、自分自身とやさしく出会い直す。

そんな時間を、これからも丁寧に届けていきたいと思っています。対話とは、目に見えないけれど確かに感じられるもの。

機会があれば、実際のセラピーで見られた「足からの気づき」のエピソードを少しご紹介しますね。




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