ベニシア・スタンリー・スミスさんの訃報に接し、とうとうこの日が、という気持ちとあまりにも早いという気持ちに打ちのめされ、英語を習っていた一生徒として、ベニシア先生と過ごした日々を振り返っていました。
『猫のしっぽ カエルの手』というテレビ番組で、大原の古民家での暮らしやお庭に憧れた方も多いのではないでしょうか。
この番組が始まる少し前から、わたしはベニシア先生から英語を学ぶため京都に通っていました。
京都に暮らしていた20代は、命ある食べ物を作ろうと、自給自足を目指して田んぼや畑を耕していました。
そんな活動の中でよく、お見かけしていたベニシアさんからいつか英語を学ぼうと決心し、子育てがひと段落したある時、門を叩いたのです。
ベニシア先生はまだ大ブレークする前で、大原から長靴を履いて、教室のある出町柳まで通われ、
よく笑いよく話すバイタリティ溢れる方でした。
英語のレッスンは毎回工夫がこらされとても楽しく、名門貴族であった大邸宅での生活や、
寄宿舎の暮らし、ティーセレモニーや、
別荘での経験など、私の知らないイギリスの歴史や背景が散りばめられていました。
言語を学ぶことは、その文化歴史、背景を知ることだという信念をお持ちであったと思います。
レッスンが終わると、お庭のハーブをブレンドしたオリジナルのハーブティーをいただきました。
夏はレモングラスとペパーミント、春先はフェンネル、冬はジンジャー。
からだもこころも知的好奇心も満足するレッスンでした。
あれよあれよとお庭が賞をとられ、レッスンにもテレビカメラが入るようになりました。
それでも、忙しい生活の中で、ご自宅に招待してくださり、お庭の花や木やハーブを一つ一つ教えてくださり、手作りのクッキーやケーキでもてなしてくださいました。
ひと月以上前から準備をするクリスマスのシュトーレンは絶品でした。
あんなに美味しいシュトーレンは、後にも先にもいただいたことがありません。
大原の里を自ら歩いて案内してくださったこともありました。
赤紫蘇の畑、川のせせらぎ、北山トレイル、ハーブへの思い。
土を触るときは、必ず素手で触るのよ、
とっても気持ちいいのよ、と爪の間には土がいつもついていて笑っておられました。
当時、ある学会で運営をしていたわたしは、
シンポジウムの実行委員長に任命され、途方に暮れていました。
ベニシア先生に無理を承知で相談すると、もちろんよ!とご登壇をご快諾いただきました。
この写真はその時のリーフレットです。
大人気だったベニシア先生のおかげで、
驚くほどたくさんの方が日本中から集まってくださいました。
ベニシア先生は、壇上に上がると、
ととと、とマイクスタンドを通り越して舞台の端にちょこんと腰掛けました。
そして、
「もし、わたしたちの命が、あと少しだとしたら、わたしたちはどうやって愛を伝え合いますか」と静かに話し始めました。
東日本大震災から半年後、生と死の境界線がすぐ近くにあると感じていた私たちは水を打ったように鎮まり、それぞれの愛の伝え方を考えました。
長いスカートから少し組んだ足を、ふわふわと揺らして、
まるで少女のように話す姿は、自由を愛し、人を愛し、植物を愛し、人生に誠実に向き合ってこられたベニシアそのものでした。
数年前、大原を訪れたとき、ベニシア先生が体調を崩され、ご自宅を離れていらっしゃると聴きました。
季節な花であふれるように、大切に細やかに手入れされてきたお庭は、手入れがあまりできていないようで、主人のいない寂しさを感じました。
忘れられないのは、夏至の話。
英語ではsummer solsticeというのよ、太陽のための大切なセレモニーなのよ、と毎年お話しくださっていました。
ベニシアは夏至の日に天に帰って行かれました。
あのとき、嬉しそうに写真を見せてくださった女神のマウントに夏至の光がさしていたらいいな。
懐かしいイギリスへ、フットワーク軽く帰って行かれていたらいいな。
優しいハグと、はにかんだような微笑みが浮かびます。
シンポジウムでのベニシアの言葉。
今も胸に刻まれています。
Life is not about waiting for the storm to pass.
It’s about learning to dance in the rain.
人生とは嵐が過ぎ去るのを待つのではなく、
雨の中でダンスすることを学ぶこと
ベニシア先生、ありがとうございました✨
忘れません。
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