小児心身医学関係の学術研究会に
参加するようになって3年になります。
月に一度、各界で第一線で活躍される講師の方が
その1年のテーマに沿って、講演をされます。
2006年は、広汎性発達障害について、
2007年は軽度発達障害について、
それぞれ1年を通して深く学びました。
そして2008年のテーマは
「衝動性を巡って」
このテーマは、とても深刻で繊細で、
毎回、重い塊を胸にどさっと落とされたような
しんどさを抱えます。
特に今年はハコミセラピーを集中して学び、
こころに小さな海底地震が続いているときですから、
暴力がどうしても、しんどいのです。
毎日のようにニュースで、
あまりにも簡単に子どもたちの命が奪われることでも
揺れ動きます。
今日は、
虐待を受けて育った子どもたちの施設で
20年もの間、子どもと関わりを続けてきた
龍谷大学の森田先生の講義。
慈愛にあふれた森田先生のお話は
苦しく、辛く、でもそこに本当に現実として
存在していることに目をつぶることはできません。
あまりにも凄惨な虐待を受けてきた子どもたちが
それでもなお、
自分の父母を誰よりも愛していることに
悲しみを感じます。
衝動性については
怒りのコントロールという視点が欠かせません。
人間の心に潜む、
支配と服従への欲望は、
確かにわたしの中にもあるのです。
救いのない、暗闇に見える子どもたちの生きる環境と
衝動性を抑えきれず、さまざまな暴力や衝動行動を
働く子どもたちに対して、
森田先生は
「本当に衝動性行動なんてものが存在するのか」と
問いかけます。
わたしにとって、この視点と問いかけは救いでした。
行動のもつ意味を一生懸命に考えると、
衝動性行動などはないのかもしれない。
レッテルを貼って楽をしたい大人がいるのかもしれない、と。
また、セラピューティックな関わりは確かに必要だけれど、
セラピーよりも生活が大事であり、
自己開示して良かった、よりむしろ、
自己開示しなくて良かった、という場面も多々あるとの
お話が印象的でした。
乳幼児期の母子の相互共感が
コミュニケーションの基礎になる、との
具体的なお話は
まさにそのことが伝えたくてボンディングケアレッスンを
行っているわたしにはとても興味深い事例でした。
支配があり、
服従があり、
衝動性に見える行動があり、
内的な欲求への洞察があり、
受容があります。
ひとはロボットではなく、
全員が違う人間で、衝動性に対する問題も
マニュアルどおりに解決はしません。
それでも
信頼できる対象との関係性が、
衝動性を抑える力になるという例は
多くの示唆を含みます。
そんなことをあれこれ考え、
重い気持ちをもてあましながら、
帰りの電車の中で、
その昔、エリザベスキューブラー・ロス博士が
東京にこられた時、
会場へ向かう新幹線で読んだ本を何年ぶりかに読んで
見つけた言葉に希望を見出しています。
「死の専門家」であるアルフォンス・デーケン神父と
曽野綾子さんとの往復書簡です。
ドイツの哲学者でカトリック司祭であった
アルフレッド・デルプは
37歳の若さでヒトラーの命で処刑されました。
その彼の残したことばをデーケン神父が引用されています。
「もし
ひとりの人間によって
少しでも多くの愛と平和、
光と真実が世にもたらされたなら、
その一生には意味があったのである」
(旅立ちの朝に 愛と死を語る往復書簡
新潮文庫より引用)
それぞれの意味のある人生に
祈りを込めて・・
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