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執筆者の写真はやしひろこ

肉体を持って生きる意味は

今日は、とても大切な友人が訪ねてくれました♪


10代後半から20代前半の

エネルギーだけは有り余るほどあるのに

それをどう生かしたらいいのか分からなかった

あの頃からのお付き合い。

迷い、自分を探し、涙を流し、

大きな声で笑い、一緒に歌をうたい、ギターを弾き、

恋をし、踊り、悩んだり、の時間を

20年近く過ごしてきました。

その間、お互い仕事をして家庭を持つようになり、

会うことは本当に少なくなったけれど、

いつもこころのどこかに、彼女の存在がある。

彼女がこの世界のどこかに生きていると

思うだけで、勇気が出てくる。

そんな大切な人♪


子どもを育て、フルタイムの仕事をしているけれど、

彼女は正真正銘のダンサー。

口には簡単にできないくらいの濃密な人生が

ぎゅっと詰まったダンスパフォーマンスは

ますます円熟味を増して、

日本のあちこちで行われる公演も大好評です。


「年をとるのがこんなに楽しいなんて

あの頃には考えもしなかったねえ」

というのが二人の最初の言葉!

ほんとに!


ハーブティを飲みながら、

しばしからだ談義になりました。


わたしたちが考えている「自分のからだ」と

「実際のからだ」とは実はとてもずれています。

このことはアロマセラピーなどのトリートメントを

していてもいつも感じること。

からだがばらばらになっていることに気づかない。

どこもかしこも悲鳴をあげているのに、

その声は日常の忙しさにかき消されてしまっています。


からだの声を聞く、というのは

そんなからだのメッセージにきちんと耳を傾け、

自分のからだを取り戻していく作業になります。

難しいことではありません。


精油の香りをかいで、「ああ、いい香り」と感じること。

気持ちのいい方向へゆっくりとからだを動かして

自分のからだを感じること。

本当に食べたいものを、味わって食べること。

意識をして呼吸をしていくこと。


ダンスはからだを究極的にコントロール

して表現をしていきますが、

たとえば、足をあげて、上半身を折り曲げて、

という時の「足」や「上半身」が

いかにあいまいなものか、

認識のずれが生み出す不自然なからだの使い方で

どれほど歪みや痛みがでるのか、ということに

アレキサンダーテクニークのワークを受けて、

お腹のそこではっきりと分かったと彼女はいいます。


わたしたちが肉体というある意味不便な乗り物に乗って

この地球に生きる意味について

考えています。

軸足がぶれると、この手のぬくもりに自信がなくなって

肩書きや占いやタロットや人からの権威に

頼りたくなる気持ちが芽生えてきますが。

目に見えないものが大切であるということは

いうまでもなく、でも地に足をつけて生きていく!


かっこ悪くても、少しずつでも、

しっかりと足をふんばって一歩ずつ。



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