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執筆者の写真はやしひろこ

光り、明からかに。


今日も和歌山満喫!よく歩きました^ ^和歌山、深くて面白いです。山も海も食べ物もお寺も神社も!

毎年熊野に訪れていたので、熊野が和歌山、のイメージが強く、ほとんど知らないことばかり。白浜や田辺に行くくらいでした。

わたしは特定の宗教には属していませんが、思想や哲学としての宗教や人々の祈りの営みや貧困と戦乱と病気の中で暮らす生身の人々の心と暮らしのセーフティネットとしての宗教の役割に高い関心を抱いています。影響を受けた宗教者の筆頭がイエス様でした。日本では空海と法然の足跡を辿っています。

旅の醍醐味は、そんな人々の暮らしに触れ、日本隅々までどんな僻地を訪れても村の歴史とともに共生してきた祈りの場、寺社仏閣を訪れること。

教科書に書かれていない、生き生きとした人と神仏の物語から、わたしなりの歴史観を育んでいます。かなり、偏ってしまっているかもしれません^ ^


今日は法然上人二十五霊場第8番、加太の報恩講寺へ。


報恩講寺は、長岡京の光明寺で最初の念仏を唱えた法然が、流罪を解かれ四国から大阪の勝尾寺に向かう途中に難破して流れ着いた浜の近くにたつお寺。流れ着いた法然が居を構えると村人はみんな浄土宗に改宗したそうです。

鎌倉時代からと伝わる立派な楼門には珍しい四体の四天王像。当時の鮮やかな色彩も少し伺えます!

小さな寺社に行くときは事前に連絡するようにしています。とくに法然関連のお寺は個人のお寺が多いのです。今回ももったいないくらいのおもてなしを受け、寺の由緒や縁起や

812年もお祀りされてきた法然が自らに似せて彫ったと伝わる仏像を間近で拝見させていただき、お焼香も用意してくださいました。

丁寧にお礼を述べてお寺を後にするとき、お寺の奥様がじっとわたしの目をみつめ、「あなたには、力強い神仏のご加護がありますよ」と伝えてくださいました。

訪れるみなさんに、きっとそのようにおっしゃっているかもしれませんが、力が湧いてきました^ ^





わたしは20代の何年か、京都の長岡京に住んでいました。

慢性疼痛を伴う病気になり、体が動かず、仕事も続けることができなくなり、じっと天井を見つめて寝ている日々が続きました。

お金も仕事もなく、病気が治る見込みもなく、絶望して落ち込む日々の中、なんと、結婚しよう、と言ってくれる人に出会いました。

結婚式には元気でいたい、せめてその日だけでも起きあがれるように。そのために歩こう、光明寺まで歩きとおせたら、きっと元気になれる、と願をかけました。

2キロほどの道のりが当時のわたしには遠く遠く、少し歩いては引き返し、熱を出して休み、また歩いて、距離を伸ばしていきました。

願をかけて歩き始めてから2ヶ月。

ようやく念願の光明寺の門にたどり着き、安堵の涙を流しました。

女性も往生できると初めて説いた法然上人はここで念仏を観じ、学のないもっとも貧しい人を救おうと尽力し、ここで荼毘にふされました。

光が明るく照らす。

真っ暗な中に一筋の光が希望になるように。


報恩講寺は光明寺の流れをくむ西山浄土宗。ご縁を報恩講寺でも感じ、感謝の思いを伝えました。800年以上前、法然上人はこの自らに似せた仏像が誰かの希望になることを祈り、彫られたのですね。

また、新しく生まれたような気持ちです♪

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