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執筆者の写真はやしひろこ

丹生都比売と華岡青洲

今日は早朝から高野山の麓、丹生都比売神社へ参拝に訪れました。




高野山を開いた空海は「丹」=水銀と深い関わりがありました。金剛峯寺も水銀の鉱脈上に位置するそうです。

丹の朱色は、歴史的に中国では高貴さの象徴とされ、黄金とともに不老不死を願う人たちに瑞祥の色として求められました。

紀伊半島には「丹生」にまつわる神社などが50以上あり、丹生都比売神社はその総本山。

1200年前、空海がかつらぎ天野の山中で犬を従えた狩野明神と出会い、その導きで丹生都比売大神より高野山を借り受けたという丹生都比売と空海の邂逅の物語は、梨木香歩のあまりにも美しい草壁皇子と持統天皇、丹生都比売の物語『丹生都比売』、空海と最澄を描いた『阿吽』など数々の物語を生んでいます。



神仏習合のはじまりもここだったとも言われています。

鳥居をくぐると赤い太鼓橋。

住吉大社の太鼓橋とそっくりだと思ったら、住吉大社と同じく淀君が寄進したものと伝えられていました。

本当に静かな、でも、燃えるような炎を感じる聖域でした。




そのあと立ち寄った宝来山神社では不思議な体験をし、八幡神社、蟻通神社を参拝したあとは、ずっと訪れたかった、世界で初めて全身麻酔下での乳がん手術を成功させた華岡青洲の建てた春林軒塾へ。




華岡青洲が医術を究めた私塾が公開されているのです。

マンダラケという植物から抽出した麻酔薬「通仙散」を20年かけて完成させ、自身に対しても人体実験を繰り返し両脚の麻痺を経ての妻や母への投薬の苦悩は、有吉佐和子の名著『華岡青洲の妻』からも伺えます。



紫の皮膚軟膏、紫雲膏でも知られています。200年前の薬がいまも健在で、春林軒でも青洲考案の紫雲膏が販売されていました!

青洲は名誉や富を求めず、実験と実証を重んじ、貴賎の区別なく病気の人へ手を差し伸べ、1000人を超える門下生を教育し、果ては治水まで行うスーパーな働きを生涯にわたって謙虚に続けました。

江戸時代に脳外科医がタイムスリップしたドラマ「JINー仁」では仁先生が野風さんの乳がんを華岡流の麻酔薬を使って手術しているシーンが印象的でしたが、あれは通仙散だったのかな。仁先生のように、青洲が鍛冶屋さんに作らせた手術道具なども展示されていていました。

何もないのならば、作ろう、誰もやっていないのなら、やってみよう、驕ることなく、諦めることなく、そんな青洲の思いが、有名無名の人に受け継がれての今、なのだと感じます。

庭にマンダラケらしき花が咲いていました!写真を撮り損ねたので

こちらは展示室のマンダラケです^ ^



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