緩和ケアでのアロマセラピーのボランティアに
毎週のように通っていました。
精油の入ったポーチを持って(夏場は保冷袋に入れて!)
往復4時間以上もかけて通っていました。
ここでは、わたしのアロマセラピーの原点となることを
たくさん学びました。
いろんな方との出会いがあり、
様々な物語があり、悲しさと辛さと厳しい現実があり、
緩和ケアなのに、なぜ?と思われるかもしれませんが
笑顔もいっぱいありました。
手の力。
手のあたたかさ。
なんていうことのない会話がときほぐしていく
こころとからだの緊張。
涙。
語られた物語と語られなかった物語。
病室を満たす心地良い植物の香り。
ターミナルの患者さんにとって、
アロマセラピートリートメントのタッチと
優しい精油の香りがもたらす効果は
ここでは書ききれないほどです。
わたしが担当させてもらった患者さんはどなたも
たった1回のトリートメントの機会であっても
忘れることなく、記憶のなかで生き続けておられます。
痛みと悲しさで笑顔がなくなってしまった方が
精油の香りに触れた瞬間に見せる笑顔と
「ああ、いい香り」のためいき。
トリートメントの間に、何度も何度も
「あ~いい気持ち、こんないいものなのね」と
繰り返し口にされる「ありがとう」。
わたしたちが訪ねていく日は、朝から
何回も「アロマの人はまだ?」
と尋ねてくれている年配の患者さん。
「こんなに気持ちよさそうなお父さん、
入院して初めてみました」と涙ぐむ家族の方。
肺への転移からずっと咳き込んでいた方が
アロマトリートメント中は一度も咳き込まず、
すーすーと穏やかな呼吸をして
眠りにつかれたこともありました。
ある日のこと。
担当となった男性の病室へ伺うと、
その方はベッドの上に正座し、病室の窓から
青い青い空を見ておられました。
ある日のこと。
担当となった男性の病室へ伺うと、
その方はベッドの上に正座し、病室の窓から
青い青い空を見ておられました。
どの病院でもアロマセラピーの前には、
看護士長さんとのカンファレンスがあり、
担当の患者様の状態について詳しい打ち合わせが
行われます。
この男性Mさんは、入院まもなくて
病名の告知をわたしが伺ったその日に
されたばかりでした。
ホテルのように立派な建物の病院の
最上階に緩和ケア病棟は位置し、
病棟には広い談話室も併設されています。
談話室は、おしゃれなカフェのように
三方の壁面がすべてガラス張りになっていて
琵琶湖に面しており、遠く伊吹山まで見渡すことができます。
凪いだ琵琶湖の水面に太陽の光が反射し、
遊覧船がゆっくりと行きかう景色は
あっと息を呑むほどに美しく、
贅沢な時間をすごすことができる空間になっています。
でもあまりここで、景色を眺めている患者さんを
見たことがありません。
付き添いの家族の方が言葉も少なく、
琵琶湖を、山を、見るともなしに見ているのをよく見かけました。
Mさんは60代。
付き添いの方もなく、お荷物も少なく、
たったひとりで正座しておられます。
病室は個室で清潔で明るく、ベッドとソファー、
洗面台もきれいで、ちょっとしたホテルのような
仕様になっています。
ベランダに面した大きな窓に近寄ると、
眼下に琵琶湖を一望できる景色が広がります。
病室に伺うと、アロマセラピストは
まず自己紹介とアロマセラピーの説明を始めます。
ほとんどの患者さんは、アロマセラピーをみたことも
聴いたことも体験したこともありません。
それでも、精油の香りを試していただきながら
簡単にご説明すると、たいていの方は
「ああ、いい香り、どうぞお願いします」と
受け入れてくださいます。
わたしたちが行う緩和ケアでのアロマセラピーは
リラクセーションを目的としています。
病気の辛さ、苦しさに寄り添い、
スピリチュアルペインを和らげ、
ゆっくりとした優しいトリートメントで
こころとからだの緊張をほぐし、
またお話しに耳を傾ける時間を持つことで、
安心感を感じていただきます。
Mさんは、自己紹介にも精油の説明にも
アロマセラピーにも、まったく言葉を
発することなく、じっと空を見ていました。
やめてほしい、ともおっしゃらないので、
「植物の香りを使って、Mさんの腕や足に
優しくアロママッサージをしてもよろしいですか?」
と尋ねました。
やっぱり、何も言わず、わたしの顔も見ず
小さく小さくうなずかれました。
どれだけ多くの患者さんがアロマセラピーの
日を心待ちにしていることか。
そして、医療従事者ではないわたしたちアロマセラピストが
医療の現場で患者様に触れることができる、
ということがどれほど大変なことなのか。
何が求められ、何が可能で、何が危険なことか。
まだまだ課題も解決しなければいけない問題も
たくさんあります。
それでも、ほんのほ~んの少しずつですが
着実にアロマセラピーをはじめとする様々な代替療法と
西洋医学がともに手をとりあい、
医療の現場で、お互いに対抗することなく
ひとりひとりの患者様に対してチームとして
まるごとケアできるような環境を
整えよう、としていると感じます。
ほんとうに、ちょっとずつです。
さてMさんに戻ります。
事前のカンファでの申し送りでは、
Mさんは仙骨部の腫瘍が引き起こす、
慢性的な腰の痛みと下肢のだるさ、重さを訴え、
精神的にもまいっているということでした。
痛みを緩和する薬理成分を持つ、
いくつかの精油をブレンドし、
香りをかいでいただきました。
60代のMさんはきっと、アロマセラピー
という言葉を聞いたこともなかったでしょう。
さわやかな、でもほっとするような懐かしいブレンドの
香りをかいだとき、Mさんの表情が変わりました。
正座を崩してもらい、足から静かにトリートメントを始めました。
浮腫は見られず、痩せてはいましたが
きれいな足をしておられます。
ゆっくり、ゆっくり、やさしく、やさしく。
Mさんの呼吸を確認しながら、
スピードと圧を調整し、できるだけリラックスしていただきたい
一心で、掌を肌に密着させます。
手と肌が触れると、オイルが触媒となって
熱を発し、あたたかさに包まれます。
ふいに、「はあ~」と大きくため息をつかれました。
Mさんの右足はトリートメントにつれて
とても暖かくきれいな色になってきました。
文字通り「血がかよいだした」かのように。
そして「ふー」と大きくため息をつき
「なんでこんなに空が青いんや」とつぶやきました。
え?と思ってベランダに面した大きな窓をみると
抜けるような青空が広がっています。
青い青い、深い海の底のように深みのある青。
「そうですね。青いですね。」とセラピストが
うなずくと、
「ここからは空しか見えん」吐き捨てるように
そう言って、涙をぽろぽろと流されたのです。
付き添いの方がおられるのか、どうかも分かりません。
荷物も少なく、がらーんとしている病室で、
ひとり告知を受け、心の苦しみと対極にあるかのような
あっけらかんと澄み切った青空を
何時間も眺めておられていたその気持ちを思うと、
一緒に涙が浮かんできました。
そこからは堰を切ったように、思いが流れ出しました。
今まで、一生懸命母親の介護をしてきたこと。
母一人子一人で、二人三脚でがんばってきたこと。
母を看取り、これからやっと自分の人生だと
思ったのもつかの間、体調不良で病院にくると
もう手遅れであったこと。
自分の今までの人生に悔いはないが、
これからの時間の短さを思うと
あまりに理不尽で、悲しく、どこに怒りをぶつけていいのか
分からないこと。
わたしはただ、ゆっくりと少しでも暖かさを伝えたくて、
さするように、なでるようにトリートメントを続けていました。
・・・スピリチュアルペイン・・・・
日本語に訳すのがとても難しいこの言葉を
あるホスピス医はこう表現しています。
『自分がいなくなる事と生きる意味の消失に伴う苦しみ』
死を目前にした人間のトータルペインという概念には、
4つのペイン(痛み)があります。
身体的な痛み、
精神的な痛み、
社会的な痛み、
そしてこのスピリチュアルペン。
最近では、この4つの痛みは並列的なものでなく、
比較的並列的な前の三者と比べて、
スピリチュアルペインはすべての苦しみを
インテグレート(統合)した概念と考えられつつあるようです。
Comments