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執筆者の写真はやしひろこ

『語りかける身体 看護ケアの現象学 』


アロマセラピストとして、タッチケア セラピストとして、ケアの領域の末端で、いわゆる「意識障害」といわれる遷延性意識障害の方やターミナル期の昏睡状態の方へ触れるケアを行なってきました。また先天性疾患や脳症や神経難病で呼吸器管理されている小さな赤ちゃんやこどもさんにもお会いしてきました。

脳症で脳の大部分に大きなダメージを受けている方へ、

いつもの歌とタッチを行う時の、委ね受け入れている静かな目の表情。

新しい香りに挑戦し、初めての歌やお話やタッチを行なったときの、「え!これ何?」と驚いたような見開いた目の表情。

何か言いたそうに微かに動く口元。

楽しい話をしていると、あ、この話題好きなんだ、と感じられる興味深そうな表情。

意味ありげに私たちの顔を撫でるような指の動き。

絶妙なタイミングでのまばたき。

感じているよ、暖かいよ、嬉しいよ、と伝えてくれているかのような静かな涙。

たくさんの「奇跡」をみてきました。

いわゆる「植物状態患者」は自分自身や周囲の環境を認識できず、他者と関係を持つことが不可能だと定義されています。

でも、実際に彼らと接する親や家族、また看護師や医師の多くは、

この定義では理解できない「患者の力」を感じざるを得ない状況に立ち会う中で、

医学的には意識障害としか診断できない自然科学の数値的な評価では測ることのできない「何か」があるのではないか、

と感じていて、それをこの本では現象学という手法で体験を紡いでいます。

「現象学は、近代科学の枠組みの中に入り込んでいる自分のあり方に気づかせ、科学的な認識以前の「生きられた世界」に立ち帰ること、

すなわち「世界を見ることを学び直すこと」を主眼とする。

植物状態患者というレッテルを貼ってみていた彼らを、私たちとなんら変わりない、ひとりの生きている人へと連れ戻すこと。

レッテルを取り払って彼らの存在へと迫ること。」

「そこにある」と感じられる何かに、

私たちの〈身体〉が向きあうときの内側の微かな変化を手がかりにして、自己との関係性が変わり、変化した自己と他者との関係性にも変化が起こります。

〈身体〉があるからこそ、世界との対話が可能となるのです。

鷲田さんがあとがきで引用した詩人の長田弘さんの言葉。

「みえてはいるが誰れもみていないものをみえるようにするのが、詩だ。」

この言葉は、ケアの現場にいるものにも当てはまるのではないかと考えます。



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